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コンクールとは縁がない。受けなかったというわけではなくて、それこそ小学6年生で初めて学生コンクールを受けてから20代後半まで相当な数の挫折経験をした。おかげでわたしの20代は青春なんて呼ぶには程遠い、どす黒い冬だった。
30を越して出場資格を失い、ホッとしたものだ。そうしたら今度はコンクールを受ける生徒の世話をするようになったものだから気持ちは複雑である。成功しなかった分野において自分が生徒に与えるアドヴァイスというものは、果たして功を奏するものだろうか。 ソリストとして華々しく活躍したいのなら、他の楽器はともかくヴァイオリンの国際コンクールなどは二十歳を過ぎて芽が出なかったら止めることだ。20代後半にもなってまだ夢を見ている若いヴァイオリニストを見ると胸が痛くなる。たとえ優勝したからと言って手帳が黒くなるわけでもないのだから、大いなる時間とエネルギーの無駄づかいだ。現実を見ても、活躍している国際的なヴァイオリニストの70パーセントはコンクールの受賞を売りにしていないではないか。たとえばフランスの稼ぎ頭RC、彼もいくつか国際コンクールには出たけれど結果は出せなかった。そこであきらめずにいち早く作戦を変えたのが頭の良かったところだ。室内楽のフェスティヴァルを自分で立ち上げ、少しずつ人づてに評判を高めて行って成功したわけだけれど、こういうやり方は異国で暮らす東洋人にはまず無理だろう。そこで双六のごとくコンクールを受け続けるわけだが、最近は決勝に東洋人しか残らなくなったヴァイオリンコンクール、これからの景気にもよるけれど、このままいくとヨーロッパの国際大会は軒並みスポンサーが降りて閉店するだろうと予言してもいい。 ときどき、無冠で良かったなあと思うこともある。過去の栄光にすがりついて、いちいちコンクールの名前を枕詞にしなくても良いというのは身軽だし、もしなにかキャリアの点で不足があっても、若いときにガンバラなかったからとすんなりあきらめられるのは気楽だ。せっかく○○コンクールを「穫った」のに自分はどうして毎晩家にいるのだろうと思い悩むことも無い。 若いときは自信だけはあるから、才能が認められないときに、あたかも自分がトロイの預言者カッサンドラのように思えてくるときもあって、我が身の不幸を哀れんだものだったけれど、いま思えばあれが実力だったのだと納得できる。
by eiichichijiiwa
| 2009-10-24 20:48
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