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目下休暇中だけれど、プロコフィエフを仕上げなければならないのでどこにも出かけられない。
二つのソナタのなかで明るい曲調の2番は初めて弾く。フルートの貴重なレパートリーを横取りするような気がして、それに内容的にも1番に劣るからと今までずっと避けてきたのだけれど、ピオネールの学芸会の出し物のつもりで「ピーターと狼」チックにお話を設定することにしたので、いろいろ妄想がひろがって楽しい。 1番は2番と同じ作曲家と思えないほど深刻な作品だ。霊感が天上から降ってきたとしか思えない、ヴァイオリンのリテラチュールの最高峰のひとつ。 95年以来なぜか一度も弾かなかった曲なので、パート譜に黒々と書かれたフィンガリングを消すのに一苦労。なぜ前の指使いで弾けないかというと、当時とはいろいろ事情が変わったからだ。まず、99年に楽器を変えたことがひとつ、そしてもっと重要なのは2002年に肩当てを完全に取り除いたことが大きなフィジック上の変化だ。ヴァイオリンを初めて持った時は肩当てはしていなかったのだが、10歳で新しい先生に就いてから20年以上ずっとこの悪魔の器具を付けていた。付けていればそれはそれで、付いているのが当然のような気がするのだが、どうも何か大きな間違いをしているような気がずっとしていたのは確かだ。だって、私淑する20世紀初頭のヴァイオリニストで肩当てしている人なんてポートレイトで見るかぎり一人も居なかったのだから。 はっきり言ってしまおう。肩当て付きでヴァイオリンを弾くというのは補助付きで自転車に乗るのと大差ない。もっと言ってしまえば肩当てに満足している人のことは同業者と思っていないくらいだ。ヴァイオリンとは顎と鎖骨の間に軽く挟んで弾くように設計されているので、断じて肩に乗っけて弾くものではないし、またよく言い訳に使われる首の長さも無関係。楽器の裏板から伝わる振動を骨に伝えてこそ、自分が出す音に責任が持てるものだ。肩当てという道具が加わると全くと言っていい程この振動は感じられないのだ。楽器の位置がキチンと決まれば自然に弓も弦に乗っかってくるものだし、音は驚くほど充実する。 補助を捨て去った当初は、確かに勝手が違って何か頼りなくて、初めて公開で弾くときは無意識に肩で楽器を支えようとモガいた記憶がある。なぜ恐がり屋の自分にこれが外せたかと言うと、単純にその夏はコンサートのお呼びがかからなかったから。依頼が無くてミジメとなるころを逆手に取ったわけだけれど、結果的には非常に満足している。シーズン中だったらまず無理だっただろう。 話は戻るけれど、肩当て付きだと左手で楽器を支えなくて良いので左手は自由を満喫し、どんな指使いでも可能なように見えてくる。肩当てなしの場合、合理的なフィンガリングでないと音程が取れないのだけれど、手の形で音程を決めていくので却って音を外すことが前より少なくなったような気がする。
by eiichichijiiwa
| 2009-11-03 05:46
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